「禁酒法時代」の始まりから終わりまで

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1920年1月16日は、アメリカ全土で禁酒法が実施された日です。
そのため1月16日は「禁酒の日」となっているそうですが、アメリカはどのように禁酒法時代に突入し、そして終わりを迎えたのかを見ていこうと思います。

     


1890年代、政治の雰囲気はまだ混乱していました。

メソジスト派の牧師であるH.H.ラッセルは、「反酒場連盟」を設立し、多額の寄付金を集めました。
彼は、民主党と共和党のどちらでも、禁酒に好意的であることを表明しさえすれば、その候補者を応援しました。
その結果、彼の方に、禁酒団体、WCTUの婦人たち、そしてアメリカの「二大政党」体制の中でその地位を見出すことができなかった「禁酒主義政党」が参集しました。

それ以降、統合された禁酒運動は新しい活力を獲得し、その活力に励まされたWCTU(婦人キリスト教禁酒連合)の婦人たちは、大都会の街頭を駆け回ってバーを壊したり、道徳と公徳心と愛国心の名において、酒場の店主を袋叩きにしたりしました

具体的には讃美歌を唄いながら手斧を持ってバーへ乱入し、片っ端から酒瓶を割りまくったらしいです(笑)
そのような暴力行為は当然違法ですので、WCTUの婦人たちは何度も逮捕されています。

そしてWCTUの中心人物だった女性が、このキャリー・ネイションです。

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キャリーは大柄な女性で、身長は180cm近く、体重は80kg近くあったとのことです。
彼女は自らを「キリストの足元を走り、彼が好まないものに対して吠え掛かるブルドッグ」だと述べて、バーの破壊による禁酒主義の推進を、神聖なる儀式だと主張していたそうです。こえ~

実は彼女が結婚した旦那が重度のアルコール中毒者で、娘が生まれる直前に離婚しています。そのような不幸な経験が、彼女をこのような極端な行動に駆り立てたのだと考えられています。

一度見てみたかったかもしれませんが・・・
キャリーに襲撃されたら、酒場に居る客はみんな金も払わずに逃げますよね。だからキャッシュ・オン・デリバリーのシステムが生まれたのかな?

  


話を戻します。

合衆国が第一次世界大戦(1914~1918)に参戦すると、禁酒運動はドイツ嫌いで美化されたため、愛国主義的な態度を取りました。
ワーグナーもベートーベンも演奏されなくなり、ドイツ人の名前のビール醸造業者やシュークルート(ザワークラウト)を食べる人たちは、悪いアメリカ人と見なされました。

その後1917年の国会で、第18回目の憲法改正案が可決されました。この改正憲法は、ホワイト・ハウスの禁酒家である、W.ウィルソンの大統領任期中に発効しました。
そして1920年、全ての州で0.5%以上のアルコール飲料の生産が禁止されました。
禁酒法が施行されたわけです。

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(禁酒法施工前の駆け込みで、酒を買い求める人々)

しばらくの間は、禁酒家たちの勝利でした。
アルコール中毒者はもはや病人ではなくなり、彼らはアリューシャン列島の収容所に放逐することを提案された軽犯罪者に過ぎなくなりました。
世界中の医者たちは、人類の歴史上において、前代未聞であるこの「実験」を注意深く見守りました。

    


禁酒制度がはじめの数年間、衛生上好ましい効果を挙げたことは否定できません。
様々な研究が、1920年~1921年頃から、アルコール飲料の消費の減少とともに、エタノールによる病因、肝硬変、精神障害、アルコールが原因の犯罪が減少したことを示しています。

しかし実際は、法律の施行から数年経たずして、大きな不満の声が上がりました。

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そして裁判所が溢れるほど、法律違反が多発しました。

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1920年代の中頃から、酒の密売や不法行為、買収、犯罪が頻発していました。

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(アル・カポネ: シカゴのギャングのボスで、密造酒の製造販売、売春、賭博などで組織を拡大した)

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そして禁酒法施工前と同様に、人々はいたるところで酒を飲んでいました。
もっとも豪華な「潜り酒場」、非合法のいかがわしい店、地下室や屋根裏で、貧乏人や学生、有力者がポケットにウィスキーの小瓶を忍ばせていました。

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港や陸の国境には、誰もが知っている目立たない倉庫が密かに存在しました。

農場や仕事場や工場で蒸留が行われ、非常に有毒な製品まで出回ることさえありました。
小さな容積の容器で消費できるので、蒸留酒がビールに取って代わりました。

やがて人々の苛立ちはピークに達し、その結果新たに「禁酒法撤廃協会」(AAPA)が設立され、再び異議が申し立てられました。
「あまりに厳格な禁酒法は、偽善と不道徳を生む」というのが、彼らの言い分でした。

     


そして1932年の大統領選挙で、禁酒法廃止を目玉に民主党から立候補し、大勝して当選したのが、F.D.ルーズヴェルトです。
彼によって1933年に、第18改正憲法(いわゆる禁酒法)は廃止となりました。

その後1935年には、「匿名アルコール中毒者(AA)」の協会が設立されています。

         


以上の歴史を振り返って思うのは、仮に今の日本で禁酒法を制定したとしても、結局同じ歴史を繰り返すだけだろうなということです。
または多くの人が、危険ドラッグ等にはしるような気がします。

禁酒法施行当時のアメリカを見ても、結局酒飲みは酒を飲み続け、飲まない人は飲まないままだったそうです。

ということで、この壮大な実験は「失敗」で幕を閉じました。

しかしAAによって提唱された「一日禁酒」は、今でも連綿と受け継がれていますね。
    

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それでは最後に景気良く、水に流しましょうか!


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Beer barrels are destroyed by prohibition agents in an unknown location on Jan. 16, 1920. (AP Photo) --- Am 16. Januar 1920 werden Genuss und Produktion von Alkohol in den USA untersagt und die noch vorhandenen Vorraete vernichtet. (AP-PHOTO)


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サイナラ、サイナラ、サイナラ~!(by ルパン三世)

(出典:Humanities “Going Dry”、「wikipedia “キャリー・ネイション”」、The Nobler ExperimentAlcohol Problems and SolutionsEncyclopesia BriannicaPBS”Prohibition”、本多文彦監訳 「アルコール中毒の歴史」, 1996年, p219-222)

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『「禁酒法時代」の始まりから終わりまで』へのコメント

  1. 名前:テツ 投稿日:2016/01/21(木) 19:01:10 ID:4032d9c56 返信

    Kenさん、こんばんは。

    禁酒法の成立からなくなるまでの軌跡、私知りませんでした。勉強になりました

    今後、どこの国でも酒の生産を禁ずるという法律はできないでしょう。
    それは、あまりにも人間と酒とというものが大きな関係になってしまったからです。

    断酒ブログを徘徊していて、酒を毛嫌いするような内容を書いているブログを見かけますが、それは言っても仕方がないことでしょう。
    酒による害に侵されている方やアルコール依存症の方は、酒は自分と関係のないものと考えるほうがいいと私は思っております。

    • 名前:Ken 投稿日:2016/01/21(木) 21:17:24 ID:232659900 返信

      テツさん、こんばんは。

      イスラム圏で酒を禁じている国はありますが、そういう国に赴任した人は、毎週末飛行機で隣の国へ行き、浴びるように酒を飲んでから帰国するそうです(笑)
      その記事もリライトしようと思います。

      >断酒ブログを徘徊していて、酒を毛嫌いするような内容を書いているブログを見かけますが、それは言っても仕方がないことでしょう。

      断酒継続の為には手段を選ばないということだと思います。
      自己暗示の効果を期待しているのだと思うのですが、正直最近はそれもアリかなと思ってきました。
      でも自分の場合は、それをブログに書くことは無いのかもしれませんね。

      安心して気持ちが緩んでいる時がやはり危ないと思いますので、飲酒欲求が湧いてきたら、それが通り過ぎるまでちゃんと時間稼ぎできるように、「飲酒欲求はいつか必ずまた訪れる。無くなることは無い」ということを常に認識していようと思います。

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