酒を飲んでいる頃は、週末でも退屈だと思えば、とりあえず安い場末の飲み屋へ朝から行って酒をかっ喰らい、その後仲間を呼び出しては酒を飲み続けました。
自分は飲み放題で無い限り、生は常に大ジョッキで頼んでいました。そして飲み仲間に、
「この大きさに自由を感じるんだよね」
などとほざきながらビールを飲み、その後は濃い白ホッピーをつくって飲み、さらに大生を注文し、その後に濃い黒ホッピーをつくって飲みと、完全に二日酔いになる飲み方をしていました。
それにしても何故ホッピーってあんなに悪酔いするのでしょうか?
頭がガンガンする独特な二日酔いでした。
もちろん自分の飲み方に問題があったのでしょうけど。
そして酔えば酔うほど、話の内容は無責任になっていって、
「今度みんなで北海道の知床行こう。知床は良いよ~。しかも北海道に行けば、サッポロクラシックっていう、現地でしか飲めない美味いビールがあんのよ」
などと、
酔っぱらいの与太話を飛ばし始めます
そして他の誰かが、
「うちの近くに、そのビールが飲めるジンギスカンの店があるよ」
と言えば、「そこ行こうぜ!」となって、結局知床へは行かずに、そのジンギスカンの店に入り浸りになるというパターンでした。
そして、
「北海道に行かなくても、美味いビールが飲めたな~。やっぱり生きていく上で、『情報』って大事だよね」
などと、いつも通りのセリフを吐いていました。
「知床へ行こう」の他には、「サンフランシスコへ行こう」という話もありました。
自分、友人A、友人Bの3人で飲んでいる時のことです。
自分「サンフランシスコは良いよ~。雰囲気が良いし、あと『アンカースチーム』っていう現地の美味い地ビールがあるのよ」
A「いいねえ。飲みたいねえ」
自分「じゃあ、今度行っちゃう? ナパバレーにも行かないと」
A「マジで? いつ?・・・って、そんなに休みとれないし」
B「そのビールって、日本じゃ飲めないの?」
自分「通販だったら買えるとこ知ってるよ」
A「じゃあ今度さ、通販で買って、誰かの家で飲もうよ」
B「今週末にサッカーの日本代表の試合があるから、その時に集まって飲む?」
自分「あ~、いいね! 俺んちで見る? じゃあもう、今スマホで注文しちゃおうか。あとフライドチキンとかポテトとか買ってきてくれたら、嬉しいんだけど」
A「ケンタッキーで買ってくよ」
B「あとデパ地下で、美味そうなもの買っていこうか」
自分「カリフォルニアワインも頼んどくわ。ぜってえ楽しいよ。やっぱり持つべきものは、『情報』だよね」
などということになり、結局その後皆でサンフランシスコへ行くこともありませんでした。
その他にはタイに行く話と、別府温泉へ行く話がありました。
どれも実現しませんでした。
結局毎週末やっていることは、
「どこへも行かずに、ひたすら地元で飲んだくれているだけ」
です。
どこにも行かないから見分も広がらず、酒以外の新たな話題も増えず、ひたすら無為に人生が過ぎていきます。
そのうちに話題も無くなってくるので、さらに飲んで酔うことで無理やり話題を創り出します。
そしてひたすら、記憶に残らないような無意味な話をし続けます。
そんな週末を年間通じて過ごしていると、人間的にも全く成長せず、まともな人との出会いもつくることができず、本当に有益な情報も手に入りません。
退屈さを酒で誤魔化していると、人生そのものが退屈になります。
酒に囚われてしまうと、酩酊のフレームの中から外に出ることができません。
その狭く、酒以外に何もないフレームの中だけが、自分の人生になります。
言い換えれば牢屋ですね。
改めて振り返ってみて、随分と無駄な人生を過ごしてきたなあと思います。
さすがにもう牢屋の中に戻りたくはないですね。
Kenさん、こんばんは。
寒さと忙しさで、ブログとは無縁の数日です。
忙しさはわかるけど寒さって何?
と、思われるでしょうが、パソコンの置いてある部屋がめちゃめちゃ寒いんです。しばらくすると、手がしびれてきます。(笑)
さて、牢獄の話ですが、私など一人で家飲みして依存症になったわけですから、ずっと牢獄にいたのですね。
酒を飲み続けていたら、終身刑だったわけです。
今は仮釈放ですね。
再犯の恐れがあるので、自分自身の保護観察つきです。(笑)